ただいま・・・その5  おとうさん

 

  

 

さいごに

おとうさんのことを 綴りたくなりました

 

 

うちの前の城跡が

もともと 名和氏が住んでいたところで

 

この名和氏というのは

たまたま 父が亡くなる直前に

私が お仕事で呼ばれて通ってたところ

・・・伯耆地方(京都の帰りに寄ったところ)の出身で

 

というだけなら

ただの偶然だったところが

 

それでは終わらなかったのは

 

 

父が 亡くなる前に

たくさんのメッセージを遺していってくれてたからです

 

 

そのときの情報がなかったならば

 
あれと これと それと・・・・・って
どんどん パズルのピースが繋がるように
繋がることはなかったでしょう

 

 

  

最後の最期の瞬間に

頭頂を抜けて そのまま私の腕から入り

わたしの体から光の柱に上がっていったくらいだから

 

親子だから っていう以上の

ご縁だったんでしょうね・・・・・

 

だいたい 誕生日が一緒だったし!

 

  

 

あのときは 亡くなる前

二カ月半くらい 一緒にいれたかな

 

この写真は 最後の外出のときで

湯布院の近くの 城島高原で撮ったもの

さいごに 桜が見たい と言ったので・・・

 

もう このときは

車から降りれないくらいに 弱ってましたけど
写真に撮られるのは最後だと わかってたせいか
笑顔で写ってくれました

 

このあと 亡くなる五月末まで

ずっと 自宅でした

 

 

 

今 私たちが住んでいるところの周辺の話は

父が話してくれた

南北朝時代の頃のことと符合するんです

 

父の人生の足跡を辿ると

見事なくらいに
この時代の ある人物のことと被ってて
 
その方の配下になる夢を見た・・・・・
って 言ってたくらいだから
なるほど〜〜〜!ではあるんですが
 
結局 それら全部のことは
父が亡くなったあと
私が 調べてわかったことで
本人 な〜〜〜んも知りませんでしたからね
 
 
実は 先日 名和神社に行った折にも
その近くに K家住宅 って
歴史的建造物の看板を見つけてしまい
それにもビックリ・・・・・
 
Kさんといえば
父にとっての 信頼厚い部下だった方の苗字
鳥取出身とは聞いていましたが・・・
 
父が 若くして
ある現場の所長に抜擢されたとき
このKさんを部下につけてくれるなら
と 引き受けたっていう
そんな方なんです
 
まさか こんなところまで〜〜〜!!!!!
 
父は 無口で不器用そうだけど
誠実でまっすぐな このKさんのことが
大好きなんだな っていうのは
子供心にも 伝わってきてましたが
 
古いご縁だったんですね〜〜〜納得
 
 
人生って 不思議ですね 
 
  

 

 

 

 

でもね

これは あくまで

ひとつの時代のことに過ぎない

 

 

まだまだ

いろんなメッセージはあるんです

 

 

まぁ ここらへんのパズルは

もう十分すぎるほどピースが集まって

ひとつ完成しそうだし

 

賢太郎さんと ここに住む

っていう

この日常の積み重ねが大事なんだと思います

 

 

 

  

 ほかにも いくつかの

大切にしているメッセージはあって

 
私の人生の 指針になっています
 
 
 
最期の私への言葉は
 
「 あなたの霊力を 二度ほど
間違った使い方をして  申し訳ありませんでした 」
 
でした
 
 
もちろん 今回の人生の話じゃないでしょう
 
  
 
だからね
今回の人生では 最後の二年間くらいしか
認めてもらえなかったけど
 
父の望みではなく
自分の望んだことに打ち込んでよかったと思っています
 
 
つまり
わたしは 人の言いなりになって
人に使われるようじゃいけないんです
自立することが
人生の大切なテーマなんだと思います
 
 
  
最後は 私の絵
ほんとうに喜んでくれて
傍らに置いてましたしね〜〜〜
 
おとうさんは ここから天空に旅立つ
とか 言って・・・・・
 
 
あ ちなみに
おとうさんは 土木技術士で
とて〜〜〜も 現実的な人で
最後 こんなになっちゃうなんて ビックリだったんですよ〜
 
わたしは 楽しかったけど^^
 
 
   
 
 
・・・・・というわけで
ここらで 京都からのただいまの記事は一区切りとします

 

 

 

 

  

 

Yoshiko Art

 

 

Brother Sun ∞ Sister Moon

 

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