不安定の上に立つ安定

 

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満月だった 10日あたりから

ようやく ピントが合いだした感じで

制作を続けていた絵が完成しました

 

なんだか 先月末から

自分が どうやってもピントの合わない

カメラか何かのようで

絵を 何度も何度も描きなおしていたので

とっても 嬉しいです

 

  

こういうのは

4年前の熊本地震の前にも ありました

 

どんどん絵が 手に負えないものになっていって

何度も何度も描きなおし

もう ダメだ〜〜〜!

となった矢先に 地震がきて

地震のあと ようやく

絵が まともに進行しだしたのでした

 

なんだか 地震の前から

集合意識が 大きく動き出していて

それに もろに影響を受けていたように感じます

 

 

今回のは

あのときに比べたら

それほど ひどくはなかったですが

 

 

ちょっと 身体のバランスが崩れたような感じがあって

なんというのかな・・・・・

微妙に ガタガタした感じがあったのですが

 

やはり 満月だった10日の ちょっと前あたりから

以前よりも 芯をつかめるような感覚が

出てきたのでした

 

 

バランスが崩れて

不安定になったことで

 

かえって

その不安定さの中に

新しい軸を発見するような・・・

 

 

もう 何年も前でしたが

母と 宮崎の名前を鑑定してくれる方

のところに伺ったことがあり

そこで 母が

この 訳のわからないことをして生きている娘である

私のことが心配だ

と 訴えたところ

 

おかあさん

何も心配することはありませんよ

この人は

不安定の上に立つ安定

を 生きる人なんですよ

言われたことが印象に残っている

 

不安定の上に立つ安定

 

 

ここ しばらくの

主に 身体で感じた変化は

言葉にすると

そんな感じかも

と 思うのでした

 

 

 

 

 

さてさて

絵を描く人になろう

と 決めたのは高校生の時で

父からは

「 非生産的な輩は大嫌いじゃ!!! 」

と 大反対されたものです

 

結局 その “ 非生産的 ” なことを

生業にして 50歳まで

生きてきました

 

 

「 うちの家系には そんなことをしている者は一人もいない! 」

とも 言われましたが

 

どうやら こうして

食べるため 生きていくための仕事をすることなく

絵を描くことで 生きていけているのは

 

その 父の言うところの

“ うちの家系 ” のご先祖さんたちからの

大きな後押しがあってのこと

と その名前を鑑定される方から

教えてもらってました

 

だからね

いろいろあって 苦しかったりしても

とにかく 続けるしかないんだと・・・

 

 

そちらは

奄美から薩摩へ渡ってきた

お医者さんの家系

 

というのは 興味深いことだなぁ

と ふと思う

(お医者さんって もともと なんだろうね)

 

 

わたしが きものを着るきっかけになったのも

こちらの おばあちゃんのきものをもらってから・・・

 

おかげで今は

きものの着付けを 週一

自宅で始めている

 

人に教えることで得られる恩恵は

大きいなぁ

と 今 しみじみ感じているところ

 

これも ご先祖さんからの恩恵だ

 

 

まぁ そんなこんなで

世界は 変化し続けていきますが

絵を描いて

きものを教えて

美味しいごはんをつくって

精進・精進 です

 

  

 

 

  

 

Yoshiko Art

 

 

Brother Sun ∞ Sister Moon

 

 

なごみきもの教室

 

  

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